2017年 01月 17日

あれから22年

今日で阪神・淡路大震災から22年ですか。もうそんなになるのか~。
時間が経つのって本当に早い(去年からこればっかりですが,,)。

あの時のことを思い出すと、我ながらよく無事だったなと思う。
地震が起こったとき時、私は車で高速道路を走っていたんですよね。

あの日は車で同僚を拾ってから出勤しないといけなかったので、早朝に自宅を出発しました。
阪神高速の森小路入口から守口線に入って、1分経つか経たないかぐらいのところで地震が起こったと思います。
一瞬ハンドルをとられましたが、地震だとすぐには気付きませんでした。
(このとき遠くの空が雷のように光った。後にそれが地震による発光現象だと知りました。)
分離帯に建っている照明灯がヒュンヒュンとメトロノームのように揺れているのを見ても、
まだ何が起きたのかピンと来ていなかったですね。
突風だとばかり思い込んでいたので…

そのまま先に進むと、ハザードランプをつけて停車している車が何台も現れはじめました。
「あれれっ、何で!?」なんて思っていると、ふと見た電光掲示板に『全線通行止め』の文字が…
この時点でやっと大変なことになっていると気付きました
(映像をご覧になった方も多いと思いますが、このとき阪神高速神戸線の一部は完全に倒壊していました)。

どうすれば良いのかと思いながら走り続け、結局予定通り池田線の加島出口を目指していました。
池田線に入り加島出口まであともう少しというところで、なんと道路が割れて段違いなっているところが現れた…

(続きは下の「More」をクリックすればご覧頂けます)





こちら側が高くて向こう側が低かったので、多分大丈夫だろうとゆっくり進み乗り越えました。
もし高低が逆だったら乗り越えられずに立往生していたでしょうね
(反対車線にいた方たちは、多分立往生したと思います)。
それにしても本当に無謀なことをした,,
今にして思うと、電光掲示板を見たあとすぐに高速から降りるべきだった。
危ないことをしたと思う。

高速から降りると、町並がもう本当に凄いことになってました。
建物の壁は崩れ落ち、ブロック塀は倒れ、信号機のランプは消えていて…
生まれて初めて見る光景でしたね。
同僚(先輩)が住んでいるアパートは半壊状態でした。
アパート付近の道にはガラス片や瓦礫が散乱し、
近隣の方たちがたくさん出て来ていて大騒ぎになっていました。
先輩の部屋に行ってみると、先輩は工事現場用のヘルメットをかぶって立っていた(ケガなく無事でした)。
部屋は壁が崩れて落ちて滅茶苦茶な状態でした。

誰とも連絡を取ることができないし、
先輩は「今日は休む」ということだったので(確かに働いてる場合じゃない,,)、私は取り敢えず引返すことにしました。
帰りはもちろん一般道。動いていない信号機があったんで、やはり怖かったです。

何とか無事に帰宅後、神戸方面が災害の中心であることを知りました。
車でラジオを聞いていれば色々情報が入ったんでしょうが、
なぜかラジオを聞こうなんてまったく思い浮かばなかったですね。
それほど気持ちに余裕がなかったということでしょうか。

自宅は、一階外壁のタイルが一部剥がれ落ちていました
(自宅とありますが今の自宅ではなく、この頃はまだ実家で暮らしていました)。
家族にケガはなく、家の中も家具転倒などの被害はありませんでした
(うちは家具類をツルツルの床に直接置いているので、スライドして倒れなかった)。
昨日ネットで調べてみると、大阪市は震度4だったらしい。

あの大震災や近年の大震災で、大変な思いをされた方・現在も苦労されている方はたくさんいると思います。
そういう方たちの体験に比べればまったく大したものではありませんが、
僭越ながら今回はあの日の自分の体験を書かせて頂きました。

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by kimoto-yoshinobu | 2017-01-17 01:13 | ■雑記・日常・ひとりごと


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